8  結論と展望

8.1 総括

8.1.1 EHDSから得られる知見

事実:EHDS(欧州健康データスペース)は、EU規則2025/327として2025年1月に発効し、27加盟国での段階的実装が開始されている。一次利用(MyHealth@EU)と二次利用(HealthData@EU)の両面で、国境を越えた医療データ流通の法的・技術的枠組みが確立された[1]

確認された特徴

  1. フェデレーション型アーキテクチャ
    • 各国の既存システムを活用した分散型連携
    • National Contact Point for eHealth(NCPeH)による接続
    • データの物理的移動を最小限に抑制
  2. セキュアプロセッシング環境(SPE)の必須化
    • 二次利用におけるデータ処理環境の厳格な管理
    • 「Compute-to-Data」アプローチの実装
    • 個人データの直接移転を制限
  3. 段階的実装アプローチ
    • パイロット国での検証を経た展開
    • 技術標準の段階的統一
    • 各国の医療制度差への配慮

8.2 日本の現状と課題

8.2.1 既存の医療DX施策との整合性

事実:日本では2024年4月に改正次世代医療基盤法が施行され、仮名加工医療情報の利活用とNDB等公的データベースとの連結が可能となった。また、2025年度中には電子カルテ情報共有サービス(3文書6情報の共有)の本稼働が予定されている[2], [3]

現在進行中の取り組み

  1. 電子カルテ情報共有サービス
    • 2025年度中の本稼働予定
    • 3文書6情報(診療情報提供書、退院時サマリー、健康診断結果報告書、傷病名、アレルギー、感染症、薬剤禁忌、検査、処方)の共有
    • HL7 FHIR JP Core準拠
  2. 改正次世代医療基盤法の運用
    • 認定事業者制度による仮名加工医療情報の利活用
    • セキュアな研究データ解析環境の整備
    • 公的データベースとの連結機能
  3. 標準型電子カルテの開発
    • 2025年早期のα版テスト開始予定
    • 2026年以降の本格展開
    • 2030年の概ね全医療機関導入目標

8.2.2 技術的課題の分析

日本とEHDSの技術的ギャップ

要素 日本の現状 EHDSの要求 考慮事項
データ処理環境 認定事業者でのセキュア環境 SPE内での分析義務 国際標準対応の検討要
データ標準 HL7 FHIR JP Core FHIR R4/R5、EHRxF 国際標準との整合性確保要
認証基盤 マイナンバー、HPKI eIDAS 相互認証の技術検証要

8.3 今後の検討課題

8.3.1 技術的検討事項

国際標準への対応

  1. データ標準の整合性
    • HL7 FHIR JP CoreとEHRxFのマッピング
    • 医療用語体系の国際標準対応
    • APIインターフェースの相互運用性確保
  2. セキュリティ基準の統一
    • SPE(セキュアプロセッシング環境)相当の技術要件定義
    • 3省2ガイドラインと国際標準の整合性検証
    • クロスボーダー認証基盤の技術検証
  3. フェデレーション技術の評価
    • 分散型アーキテクチャの適用可能性
    • 既存システムとの統合方式検討
    • パフォーマンスとセキュリティのバランス

8.3.2 制度的検討事項

法制度の整備

  1. 個人情報保護との整合性
    • GDPRと個人情報保護法の相違点整理
    • 国際的なデータ移転に関する規制対応
    • 患者同意取得の仕組み標準化
  2. 医療制度との調整
    • 診療報酬制度との整合性
    • 医師法・薬機法等関連法制との調整
    • 医療機関の負担軽減策検討

8.3.3 国際協力の可能性

地域協力の枠組み

事実:アジア太平洋地域では、韓国が2022年にMyHealthWayシステムを開始、シンガポールがHealthHubを運用中である。これらの国々とは技術標準の共通化やデータ相互運用について協力の可能性がある。

段階的な国際連携の検討

  1. 二国間協力
    • 韓国・シンガポールとの技術標準調整
    • 特定疾患領域での限定的なデータ共有実証
    • 研究利用に限定した連携から開始
  2. 多国間枠組み
    • ASEAN+3での医療データ標準化議論
    • 国際機関(WHO、ITU等)での標準策定参画
    • 技術移転・人材交流の推進

8.4 EHDSの意義と影響

8.4.1 医療データガバナンスの変化

事実:EHDSは、医療データの二次利用において「データを動かさずに分析を実行する」Compute-to-Dataアプローチを法制度レベルで義務化した初の国際的枠組みである。この手法は、データプライバシー保護と研究利用の両立を図る新しいモデルとして注目されている[1]

世界の医療データ政策への影響

  1. プライバシー保護の強化
    • セキュアプロセッシング環境の標準化
    • データ移転最小化の原則確立
    • 患者同意取得プロセスの透明化
  2. 技術標準の統一促進
    • HL7 FHIR準拠の国際的拡大
    • API-first設計の普及
    • 相互運用性確保の重要性認識向上
  3. 国際協力枠組みの発展
    • フェデレーション型連携モデルの実証
    • 段階的実装アプローチの有効性確認
    • 技術移転と人材交流の促進

8.4.2 日本にとっての戦略的含意

現実的な取り組み方向

  1. 既存システムの活用と改善
    • 電子カルテ情報共有サービスの国際標準対応強化
    • 次世代医療基盤法の適用範囲拡大検討
    • 地域医療情報連携ネットワークの相互接続
  2. 段階的な国際対応
    • 特定疾患領域での限定的データ共有実証
    • 研究利用に特化した国際連携から開始
    • 技術標準の段階的調整

8.5 結論

8.5.1 EHDSから得られる教訓

総合的考察:EHDSは、27の異なる医療制度を持つ国々が医療データの相互運用性を実現するための法的・技術的枠組みである。その成功と課題は、日本が国内外の医療データ連携を進める上で重要な示唆を提供している。

日本にとって重要な観点

  1. 段階的実装の重要性
    • EHDSも完全実装まで数年を要する計画
    • 日本も現行システムを活用した段階的対応が現実的
    • パイロット事業での検証を経た慎重な展開
  2. 国際標準への準拠
    • HL7 FHIR等の技術標準への対応は必須
    • 独自仕様での孤立を避け、相互運用性を確保
    • 既存のJP Coreを国際標準に段階的に適合
  3. プライバシー保護の徹底
    • セキュアプロセッシング環境の重要性
    • データの物理的移動を最小限に抑制
    • 患者同意とデータガバナンスの透明性

8.5.2 今後の取り組み方針

現実的なアプローチ

  1. 既存制度の活用と改善
    • 電子カルテ情報共有サービスの着実な実施
    • 次世代医療基盤法の運用実績蓄積
    • 標準型電子カルテの段階的導入支援
  2. 国際協力の慎重な検討
    • 特定疾患や研究分野での限定的連携から開始
    • 技術標準の段階的調整
    • アジア太平洋諸国との協力関係構築
  3. 継続的な調査・研究
    • EHDSの実装状況と課題の継続的分析
    • 技術動向と制度変更への対応
    • 国内ステークホルダーとの継続的対話

重要な検討事項

  • 医療DXは手段であり、目的は質の高い医療の提供
  • 技術導入にあたっては現場の負担軽減を最優先
  • 国民の理解と信頼を得るための丁寧なコミュニケーション
  • 過度な楽観も過度な悲観も避けた現実的な対応

Note

本レポートの位置づけ

本レポートは、EHDSの発効直後の状況に基づく初期分析である。EHDSの実装は今後数年にわたって継続されるため、その進捗と成果について継続的な調査と分析が必要である。日本の医療データ政策検討においては、本レポートを参考の一つとしながら、より詳細な技術検証と制度設計を行うことが重要である。

各ステークホルダーは、本レポートの分析を参考に、日本の医療制度と患者のニーズに適した医療DXの在り方について、継続的な検討を進めることが期待される。